紫舟が目指す書とは、作品を飾るだけで、そこに書かれた言葉の意味の恩恵が溢れだす書。 日本には「言霊」という言葉がある。古来より人は、言葉には霊力が宿ると信じてきた。ことばの魂を文字に宿すためには、「人の心に届く」を超えて、「神仏へ捧げる」覚悟を以て、その書と向き合わなければならないと考えています。不便は精神性を高める。あえて情報を遠ざけ、利便性を制限し、自らに不便を課す。制作を行う際には、都会を離れパソコンや携帯電話の電源を切り、筆先に集中し、ただ書だけと向き合う。日々の暮らしにも自らに節制を課し、集中力を高めるため僧侶と同じように精進食をいただく。すべては、書き上げた書一枚から、言葉の恩恵が尽きることなく溢れ出す境地に辿り着くために。
西洋の油画では、幾千幾万も筆で塗り重ねて背景やメインモチーフを構築し完成に至る。日本画や書は、背景をあえて描かず空間を残し「余白」を美として尊んできた。しかしその簡潔さは、西洋絵画の価値基準では「未完成」と捉えられることもある。そこで紫舟は、伝統的な余白にあえて手を加える挑戦をはじめた。人間国宝が漉いた和紙に、幾度も筆を重ねて背景を構築。それまで「何もない空間」であった余白を、深い「余韻」を宿す空間へと変容させた。そこに、伝統技法を応用しながら独自に調合した墨で線を引く。すると、わずかひと筆に幾重もの筆致が凝縮されたかのような奥行きのある表現が生まれる。余白の美を感じさせながら背景に強度と存在感をもつ新たな書の境地である。西洋絵画の構造と東洋の精神性を融合させ、東西の現代空間に響く、新たな「美」が誕生した。
日本画では、背景の描きこみがない/手数の少ない余白は、遠くにある空間を感じさせる。一方で、西洋絵画では、幾千と絵の具を塗り重ねより手数が多く盛り上がった背景が、遠くにある奥行きを生み出す。この日本と西洋の「描き方」と「遠近表現」の逆転は、日本美術と西洋絵画を隔てる大きな壁の一つであり、日本の表現物がヨーロッパで理解されがたい障壁である。さらに、日本美術が尊ぶ「余白」も、西洋絵画の基準では未完成を意味することが多い。紫舟は、この東西の美意識の隔たりを書で超えるため、「背景を描かない」日本の伝統をあえて“破”り、背景そのものを構築した。ルネサンス期に用いられていた黄金背景地の技法を踏襲し、作品全体に層を重ね上げる。さらに、西洋画の持つ堅牢さを取り入れるため、墨と金・銀・硫黄の四つの要素を融合。そして最後に、書の伝統文化から“離”れるために、作品を焼く。 ひとつの作品に数か月の時間を費やし、古書をひもとき、失われた技法を探りながら、幾重にも層を重ねていく。日本の書の精神性を礎に、西洋絵画の技法を取り込み、最後に焼く工程をいれることによって、既存の書の概念を超えていく。こうして、新たな美の領域「異界の書」が生まれた。
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