ことの葉
◎ 万博で話した「心と體とアレ」 ◎
2025年7月10日
思春期に厳しいトレーニングを課されたある日、
私は思いつく不満と文句を言いつづけ…、
気づくとトレを完遂していた。
当時の私には衝撃でした。
思春期の精神は弱すぎて泣き言を並べ、
思春期の肉体は強靭で体力底知れず。
この日、私という存在は、
「心」「體(からだ)」「意識」で構成され、
それぞれが別もので、
それぞれに対処が必要なんだと気づきました。
例;
・高揚しすぎた心に合わせて行動すると
體の機能に負荷がかかり倒れてしまう。
・逆に体力にまかせハードワークをつづけ
突然メンタルが病になることもある。
そうならないために、
使ったら休ませる対処が必要になる。
・心は、
一人静かな時・大自然・深呼吸で回復。
・體は、
断食、睡眠、温泉などで回復。
からだは生ものなので、
できるだけフレッシュに保ち長持ちさせる。
さて、ではそれぞれ「どこに在るのか」?
「體」は、
物理的にここにあります。
「心」は、
からだを含み空間にまで広がっている。
そのため、傍に悲しんでいる人がいると、
他の心に触れ共鳴しこちらまで悲しくなる。
怒っている人がいれば空気のピリピリまで伝わる。
人と人が親しくなる時、
相手の心の一部を私の心の中に預かる感覚がある。
預かった心を大事にしていると大切な人と「心が通う」。
けれど別れを迎えると預かっていた心も去るので、
「心にぽっかり穴があく」。
では、心の活動の「心のエネルギー源」は?
私は微弱な「電気」だと推測します。
「空気を読む」のは他人の心の電気信号の察知。
引越しを考えはじめると家電が故障したり、
新車が届いた日に以前乗っていた車が動かなくなる
のも、電気を介して心を読まれた結果かも。
心は相互作用し、その場=空間に影響を与え、
また影響も受ける。だから大自然の中に心を
連れて行くとくよくよが減り気持ちも軽くなる。
では「心の形状」は?
心は、拡大/縮小など変化しているようです。
例えば
・[心が広い][懐が深い]人は、
心の容積が大きく、広がるほど心は軽くなる。
・[心が狭い][閉ざしてる]人は、
心も小さく、縮ほど硬く心は重くなる。
では、心の「容積を広げる」には?
怒り、イライラ、寂しさ、妬み、etcで―
いっぱいになると、心は重くなり縮んでカチコチ。
逆に、雑念や感情を減らしていくと、心の容積に対し
余白が生まれ、「心に余裕」がでてくる。
では最後に、「意識」とは何か?
・「意識」の所在は
心や體とはまた別の高い所にあるように感じています。
・「意識」は心と體それぞれに細い糸(線)でつながり
糸を通して意識は心と體の[操縦席]にアクセスします。
「意識」とは――
心や體に指令をだす司令官。
けれど現実は、心も體も操縦席はほとんど空席状態、
司令官不在、経験を元に自動操縦で勝手に動いている。
私たちは1日に6万回の「自動思考」をします。
そのほとんどは、経験や記憶から来るパターン反応、
まるでAIの自動学習。自分の意識を用いずとも、
トイレに行けば勝手に體が動き用を足せるように、
通勤では何も考えなくても體が会社に到着するように
経験と記憶が動かしている。
こんな経験はないだろうか?
「私は普段こんな酷いことばは言わないのに」
「どうして今日はあんな態度を取ったのだろう」
そんなときには、
あなたの心の操縦席が、
周りの環境や他人の心の電気信号に
「乗っ取られていた」かもしれません。
操縦席の乗っ取りを防ぐ
セルフモニタリングは、私の場合は、
・自分の声質の変化
・嫌な思考をはじめたとき・よろしくない行動をとったとき、
・感情の起伏の観察です。観察する感じるが効果的。
では、どうすれば私の「意識」を操縦席に戻せるのか?
私の実証実験では、
「集中力」「想像力」「祈りの力」。
これらが優位に働きました。
それらを使うとき、
「意識」は心や體の操縦席に「着座」し、
わたしたちは心や體の主導権を取り戻すことができる。
そうなったとき――
「常人」が「超人」に変わる瞬間が生まれます。
誇張のようですよね。しかし
操縦席が空のまま暴走する心や體と比べれば、
確かにそれは「超人的」といえるのです。
最近になって、私は
「意識」の心や體と逆側にあるものを見つけました。
それは記憶。・・・つづきはまたいつか
紫舟 拝
